マリコラム「Songs & Me」

<新しく追加されたマリコラム>

※ 01~14コラムは、追加マリコラム16の後に掲載

15. 愛したらどうするの?

2019年12月1日に配信リリースしたシングルです。

MVは、ご覧になっていただけましたか?
ん?あったの?と、まだの方は是非ご覧になってみてくださいね。
楽曲の良さをより感じていただけます!

「愛したらどうするの?」
https://youtu.be/rfxXmFTNKOY

作詞・作曲は、「携帯電話のなかったあの頃」の作曲者でもある篠根丈二さん。
女性目線の優しさを感じる楽曲ですよね。

ドキッとするタイトル。
最初にいただいた時は、「愛したら」だったんですよ。
気づいたら(笑)「どうするの?」がタイトルについていて、
でも、私もしっくりくるなと思いました。
歌い出しの歌詞がそのままのタイトルとなったんです。

「愛」って色んな愛がありますよね。

恋愛、家族、友達、仕事仲間、、、を想う愛。
想いを素直に伝えることは、照れ臭かったり格好つけたりして、勇気が必要な時もあります。
例えば、愛するパートナーに「好きだよ」と言うことも、とても大事なことだと想うし、私も
「ごめんね」「ありがとう」「感謝してる」の言葉はキチンと伝えたいと思っています。

皆さんは、大切な人に伝えていますか?
まあね、なかなか素直になれない時もあったりするけどね、、、(笑)
私も同じです。

「愛したらどうするの?」を歌わせていただいて感じたのは、
想いを伝えたいと思った時、勇気の扉を開くタイミングの後押しができるような、
温かくて優しい、素直な気持ちになれる曲になるといいなと思ったんです。

片想いをしていた少女時代の自分を思い出したり、子供に語りかけるような母親の気持ちが湧いてきたり、
恋愛の「Love song」という一括りの表現では伝えきれない、深い想いを胸に抱いて歌っています。

色んなことがあっても最後に残るのは、
愛、なんだな…と。

皆さんに想いが届きますように、、、


次回は、いよいよ、
アルバム「Songs & Me」ラストナンバー「Present」のお話しです。
最後までお付き合いくださいね。

16. Present

2019年3月にCDリリースしたシングル曲。
デビューからトータルで23枚目、音楽活動を再開してからは、2枚目のCDシングルとなりました。

「Present」のリリース時のプロモーションで、渡辺真知子さんのラジオ番組にゲストで出演させていただいた際に「歯が痛いのに笑ってる人みたい!」(笑)と紹介してもらったCDのジャケット写真。
憶えていらっしゃいますか?
ほっぺたに掌をあててグシャっと思い切り笑ってる私。
楽曲は、勿論ですがジャケット写真もとても
好きなんです。
等身大の今の私を感じていただけると思います。
と、言っても2年前になるんですね。


「Present」の歌詞をいただいた時に、
作詞家の佐藤純子さんからのメッセージが、とても素敵で印象的でした。

内容は、こちらです…

「タイトルのPresent には、ふたつの意味があります。

ひとつは、プレゼント。
贈り物ですね。

もうひとつは、現在。
英語で、過去はPast、未来はfuture。
今は、Present。
この瞬間に起きていることは、空からのプレゼントなんだという、大きなテーマが隠れています。

わざわざ、思い出をつくるなんて考えかたはしなくていい。瞬間を大事に生きていれば、いつか心を揺らすものが思い出なんだ。」と…

「Present」には、「今」という意味があることを知りました。

そうですよね…ついつい時間に追われて、次のこと、先のことに気持ちが指向していってしまいます。勿論、目標に向かって進む向上心は、とても大事だけど「今」この瞬間に起きていることを感じて、大事に生きること。
ひとつひとつ、コツコツと。
気付けば、想像以上の笑顔溢れる未来になっている。
私もそんな風に生きたい!


佐藤純子さんとは、デビュー後に交流があり、プライベートで仲良くして頂いていたのですが作詞をして頂いたのは、初めてだったことは、メルマガ「Songs & Me」リリースに向けての想い。Vol.13「流星」のお話し。
でも綴っていますが、
純子さんは、30年もの月日を経ての再会と、素晴らしい作詞のプレゼントを届けてくれました。

実は、もうひとつエピソードがあるんです。
私が純子さんと接点があることも何も知らずにプロデューサーが純子さんに作詞を依頼していたこと。
話を聞くと、純子さんの作詞家デビュー作品をプロデューサーは、制作サイドで、お仕事を、ご一緒していたそうなんですよ。
ビックリ!ですよね!

こんな日が来るなんて…
有難い巡り合わせと、ご縁に感謝しています。 

コロナ禍が落ち着いたら、純子さんのお宅にお邪魔して、ゆっくり夜通しの女史トークしたいな…

曲、アレンジ、歌詞、全てがワクワクしていて元気をもらえる、この「Present」が記念アルバムのラスト曲として収録されています。
聴いてくださった皆さんの気持ちがあたたか~くなってもらえたら嬉しいです。


次回は、いよいよリリースとなる
記念アルバム
「Songs & Me」
まとめて想いを綴る最終章にしたいと思います。
もう少し、お付き合いくださいね。

 

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<ここから、マリコラム NO.1スタートとなります。>

2021年4月20日に、記念アルバムの歌入れのレコーディングは、全て終わりました。
不安定な時世の中、歌い切れたことにほっとしています。

アルバムの収録曲は、当初の予定曲数よりも増えて、新曲「流星」を含めた、16曲になりました!

嬉し~い!

キャンプファイヤーでも沢山の方々に、ご支援をいただきました。皆様からのあたたかい応援に心から感謝しています。今、こうして歌えることは、支えていただいている皆様のおかげです。本当にありがとうございます。

アルバムリリースまで、もう少しお待たせ致しますが収録曲の想いをこれから一曲ずつ綴っていきたいと思います。リリース日を楽しみにしながら、一緒に時間を過ごして行きましょう!どうぞ、お付き合いくださいね。

それでは、先ずは、アルバムのオープニングを飾ってくれる、私にとって、かけがえのない曲となった、「また、歩きはじめましょう」のお話しです。

01. また、歩きはじめましょう


しばらくの間、音楽活動を休止していた私の手元にいただいた、第二期音楽活動の幕開けとなった楽曲です。
オリジナル楽曲、新曲をいただける有難い気持ちの感動を胸に、曲を聴きながら、歌詞を目でなぞりながら、当時の心境と重なって、涙が溢れていたことを昨日のことのように憶えています。 

作編曲家の山川恵津子さん、作詞家の松井五郎さん、お二人のユニットPIVOTによるプロデュース作品で、 2016年4月にCDリリースした、ミニアルバム「La Porte」に収録されています。

このCDリリースのチャンスをいただいたおかげで、本格的な音楽活動の再開となり、また歩きはじめることが出来ました。
今の真璃子の活動に繋がっています。

どうして、メジャーなお二人との接点が真璃子にあったのか不思議に思われる方もいらっしゃることでしょう。
お二人との「出会い」からお話しさせていただきますね。私の音楽活動を振り返ってみましょう。
デビュー曲「私星伝説」の編曲は、山川恵津子さん。
B面「遅咲きのラベンダー」の作詞は、松井五郎さん、編曲は、山川恵津子さんでした。
ファーストアルバム「真璃子」の収録曲の中でもお二人の作品を歌わせていただいています。
だからといって、まだ10代だった私は、残念なことに、一回りほどの年齢差のあるクリエイターのお二人と積極的にお話しできる器量は持ち合わせていませんでした。

ブランクのある私をどうしてプロデュースしていただけるようになったのかは、「お二人との再会」があったからです。

山川恵津子さんとFacebookで繋がることが出来て、お声をかけてくださったことから、松井五郎さんとの再会にも繋がって行きました。
有難い再会が出来たとは言っても、当時の私は地元福岡のLIVEハウスなどでアマチュアのメンバーとバンド形式でステージで歌い始めていた頃でプロとして再び、どうやって活動して行けばいいのかを模索していたんです。

そんな時、山川恵津子さんが福岡のご実家に帰省されているタイミングにお邪魔することが出来て、ご実家のピアノで一緒に歌を歌ってみることになったんです。
デビュー当時、山川さんにはレコーディングでコーラスもやっていただいていたので当時を想い出しながらの嬉しい気持ちと、
これはまさにオーディションだ!とドキドキに緊張していました。
もし、あの時、山川さんが首を傾げてしまっていたら、その後、LIVEをご一緒していただくことも松井さんに私のことをお話ししていただくこともなかったでしょう。
あの日、「一緒に声合わせて、歌ってみない?」と言ってくださった山川さんの優しさは忘れません。


35年前のデビュー時と再デビューとも言える活動再開時にも、
山川恵津子さんと松井五郎さんの作品を歌わせていただくことになった私は本当に幸運です。


そして、「また、歩きはじめましょう」が収録されているミニアルバム「La Porte」のリリースから6年目となる今年。
35周年記念CDアルバムの収録曲として、あらためて、レコーディングしました。
もう一度、歌入れをしたことには、とても大切な想いがあること、わかっていただけたと思います。

今回のレコーディングは、福岡のライブでいつも私を支えてくれているayunaさんにピアノ演奏をしていただきました。
山川恵津子さん、松井五郎さん、ayunaさんへのたくさんの感謝の気持ちを込めて歌いました。

たくさんの周りの方々と皆さんのあたたかい応援のおかげで、また、歩きはじめることが出来た、今の真璃子の想いを感じてください

02. 突然の電話


楽曲は、1993年、第一期音楽活動最後にリリースしたアルバム「I Love me」収録曲で、1994年に19thシングルとしてもリリースされた曲です。

私は作詞もしているですが、今回は、こ歌詞を描いた時エピソードを想い出してみたいと思います。


1993年、私が25歳になる年頃に時計針を戻してみましょう。


映画鑑賞が好きで、時間があると一人でよく映画館に行ったり、夜な夜なビデオを観たりしていました。(当時は、DVDではなくてビデオでしたよね 笑)
それは、子供頃から歌が好きだったように、ドラマや映画も好きだったこと延長でした。

どんなタイプ映画好きだったかというと、「ローマ休日」で、キュートでスレンダーなヘップバーンに憧れて、「裏窓」でグレース・ケリー気品ある佇まい美しさにうっとりして、「カサブランカ」イングリッド・バーグマン綺麗で繊細で表情豊か、凛とした中にも透き通る瞳強さに、ガッツリと心を奪われた、16歳頃。

古い映画女優さんたちは、綺麗なだけじゃなくて、人生てをかけて、そこに立っている空気感があって、とにかく格好良くて、めっちゃくちゃ輝いて見えました。

どうして映画話?と思われたかも知れませんが「突然電話」が出来たエピソードは、ある映画からインスピレーションを得ているんですよ。
2番歌詞にヒントがあります。

~もしも映画なら 恋が再び始まる予感 なんてこともありそうだけど~

分かりましたか?

メグ・ライアン主演映画「恋人たち予感」です。
男女に友情は成立するか?というテーマを、久しぶり再会をたびたび重ねることになる男女を通して描いていくロマンティックコメディー。
1989年に公開されて大ヒットしました。
あー!と、思い出した方声が聞こえてきそうです。(笑)

私は、こ映画ストーリーは勿論、キュートでチャーミングなメグ・ライアンが大好きになったんです。
メグ・ライアン出演作品で、1993年公開だった「めぐり逢えたら」もロマンティックで素敵でした。
どちら作品もノーラ・エフロンが脚本を手掛けていることに気づいた私は、
ノーラ・エフロン世界観にも憧れました。
私なんて足元にも及ばないけれど自分なりに共感した想いで作詞をしてみたい、と。


突然電話」は、昔好きだった、”あいつ”から突然電話ら物語は始まります。
二人が昔、付き合っていたか友達だったか、ぼんやりとしていて、どちらにも取れる内容になっています。

~あいつにふられた私は、もういないけど~
と、言っているけど、好きな気持ちを伝えてはいなかったかも知れないし、
”あいつ”に彼女が出来たことで、はじめて恋してたことに気づいかも。

どちらにしても再会することで二人恋が始まるかも知れない。
そんな期待感を取り入れたかった。

お互い探り合いながらランチからドライブに、、、

”私”素直じゃない所も綺麗に思われたい女心も、本当は、あ私に似ていた。(笑)
物語後半でやっと”私”内を解き放してあげることが出来は、

~ずっと一緒にいたかった あ気持ち ふいに思い出して ちょっと切なくなった~

最初は、こ部分構成は、なかったんですよ。
メロディに乗せて歌ってみると、私も素直になれた気がして嬉しかった。

映画「恋人たち予感」は、紆余曲折ありながらラストは、友情から愛情に変わっていきます。
突然電話」は、まだ再会したばかり。
まま時は止まっています。
二人、どうなるか気になりませんか?
私は、気になっています(笑)
どんな展開になるかは、私次第ですけどね(笑)
続編、描いて見ようかな、、、ふふふ、、、

そんな気になる展開もあって、活動再開した時からライブで歌って来ました。
年齢を重ねた今声で、今回記念アルバムで再び歌えたことが本当に嬉しい。

そして、皆さんと再会出来たことに感謝しています。

03. お嫁に行きたい

1988年に、ポニーキャニオン移籍第一弾として、リリースされた「お嫁に行きたい」は、THE ALFEEの高見沢俊彦さん作詞作曲で、人気ドラマだった「時間ですよ」シリーズの劇中歌でした。
私の代表曲となった、とても思い出深い一曲でもあります。

この曲への想いを綴るには、時間をかけて考えて一生懸命に割愛しても長文となってしまいました。
ゆっくり、お付き合いくださいね。

活動を再開して、ライブで歌わなかった時は、「お嫁に行きたい 聴きたかった。」と、コメントをいただくことが多く、あらためて皆さんの記憶に生きている楽曲なのだと感じています。

でも、まさか、もうすぐ53歳になる「真璃子」が35周年の記念アルバムに、セルフカバーする日が来るなんて、リリースした20歳の頃は、想像もしていなかったことで、もう一人の「私」は、嬉しさもあるけど不思議な気分でいます。

「お嫁に行きたい」のお話しをするには、ドラマ「時間ですよ たびたび」の撮影時の記憶の中の日記帳をめくっていくことにしましょう。

劇中歌として、私が歌う姿を懐かしく思い出してくださっている方もいらっしゃると思います。

ある時は、小料理屋さんで着物姿、ある時は、銭湯で出演者の工藤静香ちゃんと二人、
ウエディングドレス姿で歌ったり、主演の森光子さん、とんねるずさん、そして、かまやつひろしさん、地井武男さん、篠ひろ子さんなど出演者皆さんで一緒に歌っていただいた、何とも豪華な回もあったんですよ。
憶えていらっしゃいますか?

ドラマをご覧になっていた方は、お分かりだと思いますが、毎回のようにドタバタシーンがあリましたよね。
細かい段取りがあって、やり直し無しが当たり前でした。
凄いメンバーです。もし、私が動きを間違えたり、とちってしまってNGになったら申し訳ないじゃすまされない!と、かなりのプレッシャーでした。
歌のシーンの撮影もリハは勿論しましたが毎回一回でOKだったと記憶しています。
まるで、歌番組の生放送みたいに勢いよく撮影していました。
「お嫁に行きたい」を一緒に歌っていただけることが、そんなシーンが物語の中に刻まれることが、心から嬉しくて、とにかく楽しかった。
今、当時の映像を観ても本当に嬉しそうに歌っている私がいます。

「時間ですよ たびたび」での私の役柄は、小料理屋の娘役で店の主人でお父さん役は、由利徹さんでした。
劇中歌を歌う、まりちゃんとして、ただ、ただ、役柄に必死に取り組んでいたのですが…

今思うと、本当に凄い経験をさせていただいたことに、とても感謝しています。
素晴らしい役者さんたちの中に自分も役をいただけたこと、素晴らしい出演者の方々の、
生の演技を体感させていただいたことは、
生涯、大切な宝物です。

森光子さんをはじめ、出演者の皆さんに、待ち時間などに会話をしていただいたり、とても優しい方ばかりで、、、色んなことを思い出します。

でも、今回は、今まで話さなかった「お嫁に行きたい」のエピソードをお話ししなければと思いました。


それは、監督だった久世光彦さんとのエピソードです。

久世光彦監督は、皆さんも記憶に残る、数々の名ドラマを演出されている方ですが、
現場で、とても厳しい方としても有名でした。
皆さんのご想像通りに「時間ですよ ふたたび」のお手伝いのまりちゃん役の時から、かなり叱られました。
撮影の最終日ラストシーンの後、私が泣くか泣かないかを森光子さんと久世監督は、賭けをしていたと後に聞かされて、びっくりしたこともあります。
それには理由がありました。
後ほどお話ししますね。


劇中歌として「お嫁に行きたい」を歌うシーンは、出来上がっている音源を流すのではなく、
ドラマ用に、撮影所の録音スタジオで歌入れをして、久世監督のOKが出るまで何度か歌いました。
OKをいただいたテイクを聴いてみると、音程が悪いことがとても気になった私は、
「すみません!音程が悪いのでもう一度、歌わせていただけませんか?」と、トークバックで伝えたんですよ。
すると、久世監督からの喝が入りました。

「音程なんて、どうでもいいんだよ! 上手く歌おうと思ってることが違うんだよ!
気持ちだよ! わかってないなー」と。

ガビーンと胸に響きました。

普段から音程のことを音楽プロデューサーに、いつも指摘されていた私は、
音程のことばかり気にするようになっていたんですよね。
きちんと音程が取れることは、歌手として最低限の出来て当たり前のことが私は、出来てないわけですから。

でも、久世監督の一言に、とても恥ずかしくなって泣きそうになりました。
本当に私は何にもわかってないんだな…と。 かなり落ち込みました。
こんなに素晴らしいドラマの劇中で歌わせていただけるのに…

いい歌が歌えるようになりたいと、強く思った瞬間でもありました。

自分が出来ていないことが物凄く悔しかった…

いやいやぁ…
でも、久世監督に打診するなんて、生意気で可愛くないですよね。
全く! 身の程知らずで、ひどい話です。
今、思い出しても馬鹿だなって、ため息が出てしまう。
あまりにも恥ずかしいので、このエピソードは自分の胸にしまっておきたかったんですよ。

でも、月日を経て、再びレコーディングをする機会に恵まれたことは、
振り返るべき、有難いエピソードで、久世監督に本当に心から感謝しています。
皆さんにも、やっとお話しできました。

よかった…
初心忘るべからずですよね。

こうして「お嫁に行きたい」を通して、当時を振り返ってみると、
私は、自分の身の丈以上に、素晴らしい出会いに恵まれていたことに胸が熱くなります。

 

そして、お手伝いのまりちゃんがドラマ撮影のクランクアップで泣くか泣かないかの賭けをしていたという、森光子さんと久世監督の話の続きです。

「時間ですよ」は、皆さんもご存知のようにシリーズ化されているドラマで、
私世代は、1973年からの銭湯の従業員役の堺正章さん、お手伝い役の浅田美代子さんが出演されていたシリーズから記憶にある方が多いんじゃないかと思いますが1965年が最初の放送だったんです。
まだ私も生まれる前なので後に知ることとなるのですが、
森光子さんと久世光彦監督は、長期に渡りドラマの新人を育ててこられた訳です。

説明が長くなりましたが、何故、私が泣くか泣かないかの賭けになったかというと、
聞いた話なのですが、今までの歴代の新人は、ほとんど、監督が怖くて撮影中に泣いていたそうなんですよ。
撮影が中断したこともあったそうです。
昔の方が緊迫感が凄かったらしいのですが…

私は、撮影中は、一度も泣かなかった。

そして、あの決まり台詞の「おかみさーん時間ですよ~」と大きな声で叫ぶシーン。
そんな緊迫感の中で、新人は、なかなかOKが出ないこともあったそうですが私は、いつも一回でOKでした。
このシーンに関しては、いつも直ぐに撮り終わるので久世監督に嫌われてるのかなと本気で悩んだこともあったんですよ。
「真璃子に時間かけるのは、勿体ない」って思われてるんじゃないかと…
勘繰り過ぎですよね(笑)

自信がなかったんですよ。

まりちゃん役は、私でいいのか、と。

でも、周りにそんな心配しているように思われたくなくて、私なりに明るく取り繕っていました。
久世監督は、私をどんな風に捉えていらっしゃったのだろう…

森光子さんは「泣く」に、久世監督は「泣かない」に賭けていたそうです。

結果は、森光子さんの勝ちでした。

最後のシーンのOKの後、
「お疲れさまでーす!」のスタッフの声と共に、あの「時間ですよ」のテーマ曲が流れて来た瞬間、隣にいてくださった森光子さんの笑顔を見て、私は、くしゃくしゃに泣きながら、途切れ途切れに「ありがとうございました。」と言うのがやっとでした。
気が付くと、久世監督からの花束が目の前に飛び込んで来て「頑張ったな」と優しく笑いながら、頭を撫でてくれたんです。
もう、嘘みたいでした!
私の出演シーンの撮影時には、いつも怖くて、見たことなかった笑顔の久世監督がいました。
嬉しくて嬉しくて、何も言えずに号泣していました。
いつも自信がなくて心を開けなかった私だったけど、最後に久世監督の笑顔で、まりちゃん役をやり遂げた達成感をいただいたんです。


久世監督にも、また、「お嫁に行きたい」を聴いてほしかった…
また、お会いしたかったな…

今でも、皆さんの記憶の中に「お嫁に行きたい」が生きていることを久世監督にも伝えたかった。


「お嫁に行きたい」をセルフカバー出来て、本当によかった。

感謝を込めて。
真璃子

04.  不良少女にもなれなくて

1986年11月にリリースされた4thシングル。
バラエティ番組「コムサ・DE・とんねるず」のテーマ曲でした。

ファンの皆様からも人気の高い曲なのですが、80年代の隠れた名曲とも言われているそうです。
凄いことだ!!

活動再開してからの東京ライブのお客様との打ち上げを、歌謡曲BARスポットライトさんで開催した時、
「不良少女にもなれなくて」のイントロが流れてきたと思ったら、お客様全員で大合唱になった楽しいエピソードもあります。私のこと、そっち抜けで歌ってた~(笑)
あの時は、泣きそうなくらい嬉しかったな…
私も負けじと、一緒になって歌ってたけどね(笑)

また、みんなで歌いたいな…

リリースして約30年の時を経て、楽曲の力を実感することが出来るなんて、
歌うことを再開して本当によかったと感じた瞬間でもありました。

そして、今年、35周年記念アルバムにセルフカバー出来たことは
今、素直になれた自分へのご褒美のような気がしています。

どんな風に素直になれたのか…
皆さんにも聞いてほしいんです。


この曲が誕生した経緯を思い出しながら話していくことにしましょう。

楽曲は、まだ無い段階で、テレビのバラエティ番組「コムサ・DE・とんねるず」のタイアップが決まったのですが、番組スタッフに、ご挨拶も兼ねて、私もテーマ曲の打ち合わせの席に参加させていただきました。

正直に言うと、この番組に携われていた、
テリー伊藤さんからテーマ曲のイメージをお聞きしたことしか憶えていないんですよ。

どんなイメージだったと思いますか?

私の記憶がずれていたら、テリー伊藤さんにも申し訳ないのですが

「やんちゃな若者がバイクや車を走らせる時に流す曲」だったんです。

ざっくりの私の記憶ですが、分かるかな?
私の勝手なイメージは、キャロルやクールス、横浜銀蝿、アイドルだと中森明菜さんの曲が浮かんだんですよ。
私は、どんな曲になるのか、「真璃子」のイメージに無理があるんじゃないのか…
スタッフは、どんな考察をするのか、とても気になりました。

そして、番組のヒットを狙った制作スタッフの意図と、真璃子スタッフのヒット曲を世に出したい熱い想いから生まれたのが「不良少女にもなれなくて」でした。

作詞:阿木燿子さん、作曲:鈴木キサブローさん、編曲: 椎名和夫さん。
ヒットメーカーで豪華な作家の皆さんの作品で1986年2月にリリースされ、日本レコード大賞受賞曲となる、
中森明菜さんの「DESAIRE-情熱-」と同じ作家陣だったということになるのですが、
この時点では、まだ年末の賞レースの結末は、誰にも分からなかったこと。

作家陣が決まったと聞いて、
私は、「阿木燿子さん?!」と、スタッフに聞き直したことを憶えています。
子供の頃から憧れていた、山口百恵さんの作品をいくつも描かれている方ですから、嬉しい驚きでした。

そして、手元にいただいた歌詞のタイトルのインパクトの強さにスタッフが驚いてる中、私はスタッフが感じた驚きよりもきっと、さらに大きな別の強風が吹いたように気持ちがザワザワしていたんです。

「不良少女にもなれなくて」

こんな日が来るなんて…

活動を再開して、皆さんには、カミングアウトしましたが…なんて、いい歳して話すのも本当は、恥ずかしいんだけど。
デビュー前の少女時代の私は、やんちゃだったんですよ。
今だから笑って話せることでも、当時のアイドルで18歳だった私には、大問題でした。
少女時代のことをぶり返されたらどうしょう…ってね(笑)
ん? 笑い声が聞こえて来そうだけど(笑)

歌詞に出てくる
~授業に出ないあの娘 コスモス色のルージュ~
まさに、私もそんな中学生だった…

スタッフにも何も胸の内を話さないまま、スケジュールは進んでいきました。

いよいよ、レコーディングの日に。
スタジオには、何と!阿木燿子さんも来てくださったんですよ。
綺麗で華やかで優しい雰囲気の阿木燿子さんに、スタッフも皆んな緊張気味に見えました。
私は、緊張し過ぎて、ほとんど話せなかった。
山口百恵さんに憧れて歌手になったこと、阿木燿子さんの作品が好きなことも話したかったのに…
せっかくの二度とない機会だったのに、何でもっと話さなかったんだろう…と、
今でも昔の私にがっかりしてしまいます。
後悔してもしょうがないんだけど…

この曲を私が歌っていいのだろうか…と。
最初は、自分に、みんなにも嘘をついているようで歌うのが怖かったんです。
そんな、モヤモヤの胸中でも、時間は、待ってくれません。
私は、「真璃子」だ!
やんちゃだった私に知らん顔して、レコーディングに挑むことにしました。

でもね、不思議なことに、
レコーディングスタジオのマイクの前に立って、ヘッドホンからイントロが流れてきた瞬間、
私のモヤモヤ感が消えたんです。

まるで小説のような世界観の歌詞に、感情移入しようと思わなくても自然と言葉を語ってくれるようなメロ。
肩の力が抜けて伸び伸びと歌うことができたことが嬉しかった。
楽曲が素晴らしいということを体感したんだと思います。

私が不良少女だったとしても、不良少女にもなれなかったとしても実際は、どちらでも関係ないんだということ。

愛おしい「真璃子の歌」になったんです。

振り返ってみると、子供だったなーと思うけど、当時は必死に「真璃子」を演じていたんですよ。
地元の友達には、微妙な反応をされたけどね(笑)

え?
今ですか?
めっちゃ素で「真璃子」してます(笑)


また、この曲を歌えることが嬉しい。
歳を重ねるのも悪くないよね…
素直になれてよかった。

05. セシルの週末

1989年5月にリリースした、真璃子11thシングル。
1980年にリリースされた、松任谷由実さんオリジナルアルバム「時のないホテル」に収録されているオープニングナンバーのカバーです。

真璃子にとって、はじめてのカバー曲だったのですが、何故、松任谷由実さんで「セシルの週末」を選曲したのかと、リリースした時もよく問われました。
当時は、「松任谷由実さんの曲が好きで、特に、この曲が好きなんです。」と、いつも答えていました。
勿論、それは本当のことなんだけど。
決まって言われたのは、「真璃子」のイメージと違うということ。

、、、そうですよね。
そこで思い出してもらいたい曲があります。
不良少女に憧れる少女を歌っている4thシングル「不良少女にもなれなくて」。
「セシルの週末」は、不良少女だったヒロインが愛する人と出逢い更生する曲。
全く異なったタイプのヒロインを歌っていることになります。
真璃子どうしちゃったの?と思われても仕方のないことでした。

時を経て、35周年記念アルバムに収録した想いも込めて、今なら正直に、どうして「セシルの週末」を歌うことになったのか、
真相をお話し出来るチャンスを頂けたと有難く思っています。

1989年、32年前に時計の針を戻してみましょう。

あの頃の私は、21歳になる年で、スタッフも私もアイドルから大人の歌手へ、イメージチェンジを図りたい時期に来ていました。

スタッフの戦略としては、1988年8月に「お嫁に行きたい」でお茶の間の皆さんに「真璃子」を認識していただき、同年12月には、尾崎亜美さん作曲の「届かなかったAIR MAIL」で歌手として、アーティスト色を皆さんに感じていただくようにアプローチをしていたようです。

そこで、翌年1989年リリースとなる、新曲の企画が「カバー曲」だったんです。

ちょっと、私の記憶も曖昧になっているんだけど…
ディレクターさんに「真璃子は、誰の曲を歌ってみたい?」と聞いてもらったような気もするのだけど、もう、松任谷由実さんに決定していて、選曲したのか。
どちらにしても、歌いたい曲として「セシルの週末」を挙げたのは、私でした。

イメージって、一人歩きするもの。
この曲で、優等生の「真璃子」のイメージを思い切ってぶち破りたくなったのが本当の気持ちでした。
なぜ、ぶち破りたかったかと言うと…

活動再開してのライブでも、チラッと話しているけど、メルマガでも綴っている「不良少女にもなれなくて」を歌うことになった時の私の心境、憶えていますか?
ちょっと長くなるので割愛してお話ししますが…

私は、神秘的で清楚なイメージでデビューしたけど…って、自分で言うと変な人になっちゃうけどね(笑)
実は、やんちゃだった福岡の少女時代があったんですよ。
根が真面目で精神的にも子供だった私は、「不良少女にもなれなくて」をいただいた時に、やんちゃだった私が歌っていいのだろうか?と胸中穏やかではなかった訳です。
でも、楽曲の素晴らしさに支えられて「真璃子の歌」として歌うことができた、想い出深いエピソードがあります。
でもね、それからも、いつまでも猫被ってるみたいで、やっぱり胸の奥で引っかかっていたんですよ。
創られたイメージになり切って楽しめれば、それはそれで本物になると思うんですよ。
でも、私の気持ちは、違和感が募っていました。
そんなに悩んでたなら自分の言葉でイメージを変えていけばいいじゃない!と思われるかも知れないけど、私には、そんな器量が無かったんですよ。
そこで自分なりに考えた答えは、歌にのせて伝えることだったんです。

少女時代の多感な時期、両親の別居や離婚、家庭環境の中で両親に対して、世の中の目に対して、感じていたこと、歌手に憧れて夢が叶っても、イメージに縛られてる焦りがあったことも、「セシルの週末」のヒロインを通して、私の想いを皆さんに感じてほしかった…
そして、もう一つの想いとして、「不良少女にもなれなくて」の”学校を追われて行くあの子”の明日が「セシルの週末」の”セシル”になれたらいいのにと想像したんです。

真相の結論として、
私は、「不良少女にもなれなくて」との出逢いのきっかけがなかったら「セシルの週末」は、歌っていなかったかも知れない、と言うことなんですよね。

私にとって、「不良少女にもなれなくて」と「セシルの週末」は、心の成長に大切な役割を果たしてくれた、扉を開く”鍵”でした。

歌手活動の再開をして、今こうやって昔を振り返りながら素直に皆さんにお話し出来て本当によかった。
これは、皆さんが私を見つけてくれたから出来たことです。

本当に、ありがとうございます。

06. 偶然

1990年にリリースした、14thシングルです。
日本テレビ系列のドラマ「お父さん」の主題歌でした。
父親と3人の娘の家族ドラマでカップリング曲の「静かなまなざし」は、挿入歌でした。


「偶然」「静かなまなざし」は、作詞:岩里祐穂さん、作編曲:大野雄二さん。
好きな楽曲がたくさんあったので憧れのお二人の作品を歌えることがとても嬉しかったことを憶えています。

売り上げランキング的には伸びなかったけれど、レコーディングで初めて歌った時から、私の歌声に、しっくりとくる感触を得ることが出来て、歌入れもスムーズに出来ました。この歌を歌えたことで、次作の「ほうせんか」そして「あなたの海になりたい」に繋がって行くことになったのだと思っています。

「偶然」をセルフカバーした理由は、私の中でふたつあるんです。
ひとつは、もうすぐ53歳になる真璃子でも自然体で歌える楽曲の素晴らしさです。
そして、もうひとつは”今の私の気持ち”と重なっているからなんです。

その”今の私の気持ち”とは、父への感謝の想い。

でも、あの頃、22歳だった私は、父とうまくいってなかったんですよ。
私が歌好きになって歌手になりたいと思った経緯に父の存在が大きかったことは、今までもお話しして来ました。父のことが大好きだったのに…

どんな風に、父とうまくいっていなかったかというと、たまに電話で話しても、
「何で、何も仕事ないのか?」
「もっと、テレビに出してもらえないのか?」「みんな、真璃子は、どうしたんだって言ってるぞ」とか、いつも責め立てられてばかり…

歌手としても女優としても大成してほしいと思っている父は、何で売れていないんだと快く思っていなかったんです。
親バカですよね(笑)売れるのが当たり前と思っていたわけですから…

この頃、音楽番組も減少して、私が歌う姿をテレビで観せてあげることも出来なくなっていました。
ライブもやっていない状況だったので父としては、面白くなかったんでしょうね。
ドラマやラジオの仕事は、いただいていたのですが、確かに露出は少なかったので心配してくれていたのは分かっているつもりでいたけれど、私もこれからの不安がなかったわけではありませんでした。

「色々言いたい人には言わせておけばいいじゃない!ちゃんとやってるから!」
「何にも分からないくせに、そんなに責めなくてもいいじゃない!」
と、ガチャンと電話を切ったこともありました。
父のことが嫌いになっていたんですよ。
だから、ほとんど、連絡も取らないようになっていきました。
今、思うと父に可哀そうなことをしていたな…と、切なくなります。

でも、私だって気持ちの余裕がなかった。
新曲を出しても歌を披露できる場所がなかなかない現実に、売れてない自分に、やり場のない憤りを感じていたのは確かでした。
よく、一人で泣いてたな…

毎日のように文章や詞を描くことで心の不安を埋めていくようになっていました。
一つ一つの仕事を大切に、コツコツと活動して生き延びて行きたいと思っていたんです。
タイアップもいただけて、新曲が出せるだけでも有難いことでした。

そんな心境でしたから、当時の「偶然」のレコーディングは、いつか、この歌詞の主人公のように、優しい気持ちで、父の想いを受け入れられる日が来ることを願って、歌っていたような気がします。

「偶然」のリリースに合わせて、キャンペーンで福岡に行った時だったと思うけど、妹と会って父の話しになった時に、ドラマの「お父さん」を父が観ていることを教えてくれたんですよ。
嬉しかったけど素直には喜べなかった…
妹も私と父がうまくいってないことを気にしていて「なんで、お父さんに冷たくするかな?可愛そうやん」って、妹に宥められたこともありました。
妹にも心配かけてたな、、、ダメな姉だった。
それでも意地を張ったまま月日は流れて行きました。

あの頃、父に冷たく当たっていたのは、弱音を吐きたくなかったから、、、
何とか強気を見せることでモチベーションを保っていました。
私は、仕事の愚痴や心配事を父にも妹にも話せないでいたんですよ。
自分のことしか考えられない勝手な娘で姉だった。

それから、約4年後に、東京から福岡に戻ることになるのだけれど、父は怒ってましたね。
「何で帰って来たんだ!早く東京に戻れ」と。
その時は、私を受け入れてくれないことが悲しかったけど、父も悲しい気持ちだったんでしょうね。
あれだけ突っ張っていた私が何の相談もなしに辞めると言っているわけですから…

その後、私が結婚しても、父は、相変わらず「まだ歌わないのか?」と言っていました。
子供が出来てからは、さすがに言わなくなったけど歌って欲しかったんだと思います。

長いお休みをしてしまったけど、活動を再開して初めてリリースしたCDを父に聴いてもらった時、泣きながら聴いてくれていました。
「お父さん! また歌うけんね!」
やっと、父が応援してくれていたことに素直に「ありがとう」と感謝することが出来たんです。

今、「偶然」を歌えること、セルフカバー出来たことが本当に嬉しいんです。
やっと、本当の「偶然」を歌えることが出来たと思うから。

父は、佐賀の施設で暮らしているのでコロナ禍で昨年から会えていないけど、
35周年の記念アルバムは、聴いて欲しい。

いつか、ライブにも招待しなきゃね。
それまで、元気でいてもらわないとね。

07. あなたの海になりたい

Vol.7「あなたの海になりたい」のお話し。



デビューして6年目、私は23歳になっていました。
1991年11月にリリースした、16thシングル。
日本テレビ系列ドラマ「火曜サスペンス劇場」の、主題歌。
作詞作曲は、山口岩男さん、編曲は、船山基紀さんでした。

それまでも、有難いことにドラマのタイアップ曲は、ありましたが
「火サス」のタイアップをいただけるなんて、凄いことでした。

事務所の頑張りでした。

どれだけの大抜擢だったか、ご説明しないとですね。

「火サス」の主題歌といえば、あの大ヒット曲「聖母たちのララバイ」ですよね。
岩崎宏美さんの美しい歌声が浮かびます。
私も子供の頃、家のカラオケでよく歌っていました。

「聖母たちのララバイ」は、この2時間ドラマがスタートした1981年9月から1983年4月の主題歌で、「家路」「橋」など、長期に渡り、通算6曲を岩崎宏美さんが担当されていました。
そして、名実共にヒットメーカーの杉山清貴さん、柏原芳恵さん、竹内まりやさんの「シングル・アゲイン」「告白」に続く、「あなたの海になりたい」だったんです。

タイアップが決まった時、既に「あなたの海になりたい」を歌うことは決まっていました。
番組の音楽スタッフが決めていた楽曲を真璃子が歌うことになったというわけです。

ドラマの視聴率も良く、多くの方々に真璃子の歌声を毎週、しかも約一年間聴いていただけるなんて、二度とないかもしれないチャンスです。

何人かのボイストレーニングの先生を紹介してもらい、新たにボーカルレッスンもしました。
レコーディングの前に、こんなに何度も歌ったことがないと思うくらい、自分のものにしたくて、必死に練習しました。当たり前のことだけど、それくらいしか私が頑張れることはないと思ってね。

事務所もレコード会社も力を入れていることは、勿論分かっていました。
この曲が売れなかったら私のせいだと、かなりプレッシャーも大きかったけど、この歌に懸ける想いでレコーディングに挑みました。

でも、リリース後の売り上げは、事務所やレコード会社が期待していた数字にはなりませんでした。
現実は、厳しくて、私の心に重くのしかかりました。

でも、そんな頃、友達と一緒にカラオケBOXに行った時の出来事なのですが、別の部屋から
「あなたの海になりたい」が聴こえて来たんですよ。
あの時は、本当に嬉しかった!
そして、一人で町の商店街を歩いている時も流れてきたこともありました。
偶然でも今まで経験したことのないことでした。

ヒット曲にはならなかったけど、知る人ぞ知る楽曲になれたのかな~と、少しほっとしたことを思い出します。


あれから、30年が経ったんですね、、、

福岡に戻って、昔からの友達や新しい友達とカラオケに行くと、私が歌わなくても必ず誰かが歌ってくれていました。
「まりちゃんが居るから歌うんじゃなくて、本当に昔から歌ってるんだよ。」と、前振りなんかしてくれて(笑)友達っていいなと感じています。

そして、活動再開して、福岡のライブハウスで何組かのバンドど一緒にライブをやっていた頃、「あなたの海になりたい」を歌うと、「この曲、真璃子の曲だったの?」とか「この曲は好きだけど真璃子という歌手の存在を知らなかった。」
などの声を聞いて、「あなたの海になりたい」は、一人歩きしていたんだな、と認識したんですよ。
実際、当時、メジャーな歌番組で歌ったこともなかったと思うんですよね。
ヒットして初めて出演が出来るようになっていましたから。

でもね、今回、「あなたの海になりたい」をリリースした、当時の音楽シーンを調べてみて驚きました。

1991年のオリコンCDシングル年間売上ランキングです。

1、Oh!Yeah!/
ラブ・ストーリーは突然に/小田和正       
1991/02/06   254.1万枚
2、SAY YES/CHAGE&ASKA
1991/07/24      250.4万枚
3、愛は勝つ/KAN     
1990/09/01      186.3万枚
4、どんなときも。/槇原敬之 
1991/06/10      116.4万枚
5、はじまりはいつも雨/ASKA       
1991/03/06      107.0万枚
6、あなたに会えてよかった/小泉今日子     1991/05/21      100.6万枚
7、LADY NAVIGATION/B’z   
1991/03/27      100.4万枚
8、しゃぼん玉/長渕剛     
1991/10/25      75.8万枚
9、Eyes to me/DREAMS COME TRUE   1991/04/25      68.6万枚
10、ALONE/B’z   
1991/10/30      68.5万枚
11、会いたい/沢田知可子   
1990/06/27      67.8万枚
12、サイレント・イヴ/辛島美登里       
1990/11/07      61.9万枚
13、ジュリアン/プリンセス・プリンセス    1990/11/21      58.7万枚
14、歌えなかった・ラヴソング/織田裕二    1991/02/06      57.4万枚
15、さよならイエスタディ/TUBE     
1991/07/01      55.5万枚
16、WON’T BE LONG/バブルガム・ブラザーズ1990/08/22  54.6万枚
17、Love Train/TMN       
1991/05/22      53.3万枚
18、とどかぬ想い/ビリー・ヒューズ      1991/05/15      51.8万枚
19、格好悪いふられ方/大江千里       
1991/07/18      50.2万枚
20、情けねえ/とんねるず   
1991/05/29      49.8万枚

凄くないですか?!
今でも誰もが知っている曲ばかりですよね!
歌詞を見なくても歌えそう!

こんな大ヒット曲が生まれた時期に
「あなたの海になりたい」も皆さんの耳に届いていて、しかも、今でも憶えていてくださる方がいらっしゃるということは、本当に有難いことです。
あらためて、楽曲の良さも感じています。

あの頃は、私の実力不足でヒット出来なかったと落ち込み、周りのスタッフに申し訳ない気持ちで心が重かったけど、今、活動が出来るのも「あなたの海になりたい」があるからと言っても過言ではありません。

35周年記念CDアルバムにセルフカバー出来たことは、
30年前に一生懸命応援してくださっていた、
ファンの皆さんやスタッフの皆さんへの恩返しだと思っています。
そして、あの頃の私へのご褒美。

この曲は、おばあちゃんになっても歌っている気がします。(笑)

08. 幸 〜Sachi〜

1992年頃、ニッポン放送「とんねるずのオールナイトニッポン」のエンディングで流していただいていた曲で、
”3時だ!真璃子の子守唄” ”寝ろ!のテーマ”と言われていて、リスナーさんから「曲のタイトルは?」
「アルバムの収録曲?」など、番組に問い合わせも頂き、ちょっとした話題になったこともあるそうです。
嬉しいエピソードです。

タイミングを見てリリースする予定でしたが私が活動を辞めてしまったこともあって、世に出すことのなかった曲でした。

約27年の時を経て、再びレコーディングをして、2019年10月に配信リリースをすることができました。
ようやく、世に出せたことは、私にとって、活動再開した意味を一つ感じることができた有難いことで、大きな一歩となりました。
そして、35周年記念CDアルバムに収録出来たことを本当に本当に嬉しく思っています。


配信リリース後、聴いてくださった方から、「とんねるずのオールナイトニッポン」で流れていた時と「歌い出しの歌詞が違う」とメッセージをいただきました。
今日は、何故、歌詞が違うのか?・・・についてのお話しです。


先ずは「とんねるずのオールナイトニッポン」のエンディングで流していただいていた時の歌詞をご覧ください。

~~~
どこからか 聴こえてくるの
懐かしいメロディーが流れてく 
あたたかな母の腕に
抱かれて眠った まどろみの中

子供の頃の無邪気な気持ち 
静かに よみがえる
空には見えるわ 白い小鳩たち

この世に 生まれたことを 
嬉しく思うのよ

緩やかな時の中で夢見た心は忘れたくない
小さな悲しい心捨てて 大空に歌いたい
両手振り上げて愛に踊りたい

この世に 生まれたことを
命よ…  ありがとう

~~~

そして配信リリースとなった歌詞は、こちらです。


~~~
透き通る やわらかな風
懐かしいメロディーが聴こえるの
あたたかな母の腕に
抱かれて眠った まどろみの中

子供の頃の無邪気な気持ち 
静かに よみがえる
永遠に続く魂のように…

この世に 生まれたことを 
嬉しく思うのよ


手を伸ばし 歩きながら
夢見る心は 忘れたくない

小さな悲しい心捨てて 大空に歌いたい
永遠に続く魂のように

この世に 生まれたことを
命よ…  ありがとう

~~~


元々あった英語の歌詞をモチーフにして、どちら共、私が描いていますが、
歌い出しの歌詞と途中ところどころ、変更してあります。


「歌詞を直したい」と言ったのは、私でした。
といっても、今の私ではなく、1993年の私です。

なぜ、変更したかったかは、この作品「Sachi」との出会い、
そして、作品「Sachi」が書かれた意味や、内容にありました

この作品は、Paulo Alencar というミュージシャンが女優のシャーリー・マクレーンの実娘、サチ(女優のサチ・パーカー)さんの誕生日にプレゼントした曲です
当時の私のレコーディングのブレインだったミュージシャンがこの作品を手に入れて、これは真璃子に合うと考え、紹介してくれたんです。
もちろん「絶対歌いたい!」と、強く思った作品でした。

ちょうどその頃、シャーリー・マクレーンの出演映画「アパートの鍵貸します」をビデオで観て、チャーミングな演技のシャーリーの虜になっていました。
そして、ベストセラーとなったシャーリー著書「アウト・オン・ア・リム―愛さえも越えて」を読んだ後だったんです。
この作品と出会った20歳の私は、この本で書かれていた精神世界と、シャーリーの半生に魅せられ、憧れました。


前述したように、この曲は、シングルシリースを予定していた楽曲だったため
当時、シングル用にレコーディングをやり直すことになりました。
リリースの日程は決まっていませんでしたが、宣伝用サンプルとして8cm CDまで制作されました。
このレコーディングに向けて「Sachi-幸-」の原曲のもつ本質をちゃんと描けているのか?を見つめ直し、
そして、歌詞を直してから、歌入れを行いました。


命には終わりが必ず訪れるけれど、”魂は終わりがない”
”輪廻転生”を表現に加えたかったんです。

私を産んでくれた母に、そして父に。
祖父母に、遡ってご先祖さまに。
そして、私の中の魂に。
今生きていられることの喜びと感謝を込めた歌詞にしたかったのです。

聴いていただいた方の心に、少しでも、
ふわっとした癒しになれたら嬉しいなと思っています。


最後になりましたが、
ラジオから流れて来た「Sachi-幸-」を憶えていてくださっていたリスナーさん、ありがとうございます。

一番最初にラジオのリスナーさんに届けてくださった、デビュー前から支えていただいていた、とんねるずさん。
当時の「Sachi-幸-」リリースに向けて情熱を注いでをくださっていたスタッフの皆さん。
そして、数年前に他界した、誰よりも「Sachi-幸-」を癒しの曲として、世に出したいと願っていた、
当時の事務所の社長に感謝の気持ちを忘れずに、これからも歌って行きたいと思っています。

09. ここ

2019年3月にリリースしたシングルCD
「Present」のカップリング曲。
作詞:松井五郎さん、作編曲:佐藤準さんによる
作品です。
佐藤準さんは「あなたのすべてにRUN TO YOU」の編曲以来で33年振りだったんですよ。
勝手に有難いご縁を感じています。

松井五郎さんは、活動再開して最初のCDリリースのプロデュースをしていただいてから、8曲目の作詞をしていただきました。
シングルCD 「On myself / 幸せのBlue」に続く楽曲でした。
「On myself 」で、いくつになってもどんな時も自分自身だということ、”前を向いて歩き出す”決意の応援歌を頂き、そして、私自身が今いる場所「ここ」で、しっかりと足元を見つめることの大切さを教えてくださっています。
いつも、私の勇気となっています。
ゆっくり、のんびりな私の背中をいつも押してもらっています。
コーラスにも佐藤準さん、
そして、山川恵津子さんが参加してくださっています。
皆さんの優しさに包まれながら歌入れが出来た、とてもあたたかい作品になりました。

幻想的で自然と身体の中に染み込んでくるメロディーは「Sachi-幸-」を感じる楽曲でもあります。

35周年となる今、しっかりと自分を見つめて地に足をつけて立つ
記念CDアルバムの1曲に相応しい楽曲となりました。

皆さんと今”ここ”にいられることに感謝しています。

”ここ”に私がいることを感じてくたさいね。

10. あの日、月灯り

福岡でのライブを中心にライブサポートをしていただいているピアノ・キーボードのayunaさんとはじめて二人で作った作品です

私が地元福岡で少しずつ、地元のアマチュアのメンバーとバンド形式でライブを始めた頃、音楽関係者の方からの紹介でayunaさんと出逢いました。
はじめて逢ったのは、2016年1月。
イベントライブのリハーサルでした。
「もう直ぐ誕生日で24歳になります。」と、あどけない笑顔ときらきらした瞳で挨拶をしてくれてから5年になります。
月日が経つのは、早いな…

二回り年下のayunaさんとステージでのネタになった「実は私たち親子なんです!」トークも、今は、しっかり者のayunaさんが母親的な役割りをしてくれていることは、ライブをご覧になったことのある方には周知のことですよね(笑)

ayunaさんのサポートは、安心感をもたらせてくれて、自然体の私でいることが出来ます。
ayunaさん、いつも本当にありがとう。。

「あの日、月灯り」は、4年くらい前に、
ayunaさんとライブリハをしている時に、いつも応援していただいているお客様に感謝の気持ちを込めた歌をayunaさんと創りたいと思っていることを話してみたんです。
私が「一緒に創ってみない?」と、ayunaさんに相談してみると、「いいですね!創りましょう!!」と、二人でワクワクしながら気持ちが盛り上がりました。

まず、ayunaさんに曲を創っていただいて、私が詞をつけることにしました。

この曲をサプライズ曲として、
はじめてステージで披露したのは、札幌のライブでした。
目の前のお客様への感謝の気持ちが溢れて、泣きながら歌う私を見て、ayunaさんも泣きながらの演奏となり、お客様も皆んな泣いてしまって、涙涙のファーストテイクとなったことを思い出します。
いつか、CD化出来たらいいね!と会場の皆さんと話したことも、勿論、憶えています。

この曲を35周年記念のアルバムに収録出来たことが本当に嬉しい

編曲もayunaさんです。
ayunaさんが収録したオケでの歌入れのレコーディングは、ayunaさんが一生懸命、丁寧に私のボーカルをイメージしながらピアノを弾いている姿が浮かんで感動して泣いてしまったんですよ
今、思い出すだけでも胸が熱くなります。

いつも応援していただいている皆さんへの感謝の想い、そして、いつも私を支えて来てくれたayunaさんに感謝を込めて歌いました。

月灯りの綺麗な夜は、この曲を思い出して、
これからも歌い続けて行きたいと思っています

 

11. 街の灯り

堺正章さんが、出演されていたドラマ「時間ですよ」の挿入歌で、1973年にリリースされたシングル曲です。
作詞:阿久悠さん、作曲:浜圭介さんによる作品。
子供の頃からの記憶に染み付いている名曲をカバーさせていただきました。
歌詞もメロディーも、とても好きな曲です。


私も1987年の「時間ですよ ふたたび」1988年の「時間ですよ たびたび」に出演させていただき、劇中歌「お嫁に行きたい」を歌わせていただいているので、大変恐縮ですが勝手に有難いご縁を感じています。

今でもしっかりと記憶にあるのは、「時間ですよ ふたたび」最終回に、スペシャルゲストで、堺正章さんが出演されたこと。
食事のシーンで、あの有名な「ご飯投げ」を観ることが出来たんですよ!
ご飯茶碗に盛った、ご飯の塊をピョーンと飛ばしておかわりを待っている人のお茶碗に見事にいれて、当たり前のように、そのご飯を食べるシーン。
生で観れるなんて!めっちゃくちゃに嬉しくて感動しました。
とても楽しい撮影でした!
あの場所にいられたことは、本当にラッキーなことでした。
リハーサルや待ち時間も、周りの全ての人を和ませ笑顔にしてくれる堺正章さんの素晴らしいお人柄にもとても感動しました。
その後も仕事以外の場所でお会いすることもあったのですが隅っこにいた私にまで有難いことに、いつも話しかけてくださって、本当に嬉しかったことを思い出します。

堺正章さんが「時間ですよ」の挿入歌として歌われていたのは、1973年ですから私は5歳の頃ということになります。
大人気ドラマでしたから、リアルタイムでも家族で観ていたと思うけど、その時だけの記憶で「街の灯り」を憶えているのか、後の歌番組やラジオで聴いていたのか、再放送とかもあったのかな?
私が口ずさんでいた記憶は、小学生の低学年の頃かな…
同じく「時間ですよ」の挿入歌だった、浅田美代子さんの「赤い風船」や天地真理さんの「若葉のささやき」も鼻歌してたな…

長きに渡り世の中に浸透していた昭和の名曲。
これからも歌い継がれて行くことを願っています。

あの頃は、「街の灯り」を歌わせていただく日がくるとは、想像もしていなかった…
活動を再開していなかったら皆さんに私の歌声で聴いていただくこともなかったことでしょう。
また、いつの日か堺正章さんにお会い出ることが出来たら、あの頃の感謝と「街の灯り」を歌わせていただく嬉しい気持ちをお伝えしたいです。

12. 携帯電話のなかったあの

2021年1月1日のデビュー35年の日に、デジタルシングル配信リリースした曲です。

「携帯電話のなかったあの頃」
タイトルだけで、懐かしくて、私たちの青春時代を思い出しませんか?

連絡手段は、固定電話しかなくて、
好きな人に初めて電話する時のダイヤルを回す指先のドキドキは、携帯電話で連絡出来る今よりも、かなりの緊張感がありましたよね
特に男の子は…

だってね、家族で暮らしてる訳ですから、本人が電話を取ってくれるかどうかのタイミングは、計り知れない。
女の子のお父さんは、男の子が電話をかけて来たことだけで一瞬にして、ご機嫌斜めになる感じ?(笑)
まだ、女の子から電話する場合は、男の子から電話する場合より、ハードルは高くはなかったと思うんですよ。
かなりの厳格な、ご両親でなければ、常識的な時間帯さえ守れば快く繋いでくれていた。

でも、夜中に「今何してるかな?」とか「声が聴きたいな」と思っても連絡出来ない訳で、その分、想いがつのる感じは、あったんじゃないかな。

「携帯電話のなかったあの頃」は、

そんな、80年代に、少年、少女だった私たちの青春時代を懐かしく思い出させてくれる、「青春甦り曲」。

はじめて、プロデューサーから音源をいただいた時は、「うわー 昭和を感じるワクワクする曲だな~」と、ニヤニヤしながら聴いていたのだけど、歌詞もメロディーもアコースティックなアレンジもフォークロックテイストで、今まで私が歌ったことのないタイプの曲だと気付き…
「私が歌って、楽曲の意図を表現出来るのだろうか…」と不安な気持ちになったんです。いわゆる苦手意識です。

実際に、レコーディングも一度では終わらない状態でした。
自分の歌唱力の低さを感じて、かなり凹みました。

でも、コロナ禍も考える時間をくれました。
デビューして間もない頃も同じようなことがあったな…と、あるエピソードを思い出したんです。


18歳の頃です。レコーディングを控えていたある楽曲があって、難しい曲だな…と、練習するのも気持ちがのらなかったことがあったんです。当時のスタッフには言わなかったけど、お世話になっていた業界の人に「苦手な曲があって、歌うのが怖い」と話したことがあったんですよ。すると、厳しく叱られたんです。
「歌手は、与えてもらった曲を苦手だとか言っちゃいけないんだよ、どんな曲でも自分のものにして歌うのがプロなんだよ。」と。
勘違いしていた自分が恥ずかしくて、胸に響いた言葉でした。
あの頃は、まだ言葉の意味を全て理解出来ていなかったかもしれないけど…

当時のことを思い出しながら、
自分の元に舞い込んで来てくれた曲”与えていただいた曲”は、今の私にとって意味のある何かを教えてくれている、とても有難い曲なんだ、と感じたんです。
そうそう、恥ずかしい話しだけど、格好良く上手く歌わなきゃと、勘違いしていたんですよ。
気持ちを切り替えてみました。

「携帯電話のなかったあの頃」という映画をイメージして、鑑賞している私になってみようと…

主人公は、80年代の少年です。
私が少女だった頃、好きな人から電話が来るのをドキドキしなが楽しみに待っていた向こう側の少年の気持ちを歌えるなんて、なかなかない経験です。

何度も歌っていくうちに、苦手意識が消えて、この曲がとても愛おしく思えて、歌うことが楽しくなって来たんですよ。

レコーディングをしながら、少女だった自分を懐かしく思い出しながら、そして、今の52歳の私の目線で、この曲を歌えることがとても嬉しくなった。
歳を重ねるのも素敵なことだと…

私が感じているように、この曲を聴いてくださった方が青春時代を思い出して、ときめきを感じてくれたら嬉しいな。

 

13. 流星

35周年記念CDアルバム「Songs & Me」は、クラウドファンディングで、
皆さんからのあたたかいご支援をいただき、レコーディング、リリースが出来るようになった記念のアルバムとなりました。

心から感謝しています。
本当に、ありがとうございます!
何度、感謝の気持ちを言っても足りないくらいです。

「流星」は、クラウドファンディングでの有難い目標金額達成後のネクストステージで、さらに目標金額の達成が出来たことで、追加収録が出来るようになった新曲です。

作詞は「Present」に続き、佐藤純子さん。

純子さんとは、作品としては、「Present」で初めて作詞をしていただいたのですが、
第一期歌手活動の時、一緒に軽井沢に旅行に行ったり仲良くしていただいていた、お姉さんのような存在の方なんですよ。

今回「流星」も素敵な歌詞をいただきました。
「自分の気持ちは、とっくに整理されているんだけど、ふと思い出す。
“さよなら” した人に、
“ありがとう”って思う…そんな女性の唄です。」
と、純子さんからメッセージをいただきました。

~背筋を伸ばして アイロンかけて
明日への身支度 そっと整えましょう~

このフレーズが特に好きなんです。
自分の道をしっかり、きちんと生きている、
前向きな女性がイメージ出来るから。

私も、明日も頑張ろっ!と、笑顔が溢れてきます。

作編曲は、鳥居克成さん。
4月のカバーライブでもピアノ&キーボード&コーラスで参加していただきました。

アイドル時代から、いつか、こんな大人の雰囲気の曲を自然体で歌えるようになりたいな…と、ずっとイメージしていたんですよ。
ようやく、想いが叶いました。
歳を重ねるのも素敵です。
嬉しい…

ジャズテイストでロマンチック。
大人のメルヘンを感じさせてくれる…

私の「流星」のイメージなんだけど…
忙しかった一日の終わりに、柔らかい夜風を感じながら、自宅のベランダの手摺りにもたれ、お酒を飲みながら街の灯りを眺めている主人公の女性。
お部屋には、猫ちゃんがソファーにまったりと横になっている。
主人公は、さよならした人を、ふと想い出して、夜空を眺めると、流星が落ちてゆく。
気付けば、願いごとを唱えている。
“あなたの願いがきっと叶うように…”
もう、とっくに気持ちの整理もついているから、寂しい訳でもなく、孤独でもない。
ふいに湧き上がる”ありがとう”の気持ち。

自然と何となく、さよならした人の幸せを願える主人公が愛おしい

私も、もうすぐ53歳。
人生を振り返ると色んなことがあったな…
なんてね(笑)

でもね、昔の恋を懐かしく思えることは、今が幸せだからなんじゃないかな…(笑)


皆さんの願いが叶いますように…


14. みん夢の中


1969年にリリースされた、高田恭子さんのソロデビューシングルです。
作詞作曲は、浜口庫之助さん。

私が1歳の時の曲。 
「みんな夢の中」をカバーしてみよう!と、プロデューサーからお話をいただいたのは、3年前でした。

直ぐに原曲を聴いてみると、切なさで胸がいっぱいになりました。
でも、曲が終わった後の余韻は、切なさだけではなくて、けなげな主人公の女性への愛しい気持ちが強く残ったんです。
同時に、子供の頃に聴いた記憶が甦りました。
こんな素晴らしい昭和の名曲を歌わせていただけることに胸が躍る思いでレコーディングをしました。

ところが…
私の勉強不足で、レコーディングは、難航してしまったんですよ。
私の悪い癖で、子供の頃になんとなく覚えていたメロディーが間違っていたことに気付かず、なかなか本当のメロディーが歌えないという恥ずかしい事態になってしまい…
必死で間違って覚えていたメロディーを消す作業に時間がかかってしまったんです。
情けない…

練習する為に、夏川りみさんのカバーバージョンを何度も聴いて、譜面に合わせてキーボードをたたきながら反復して、どうしても覚えられないフレーズは、手書きの譜面を書いて、ようやく歌えるようになったんです。

カバー曲は、想いは強くても私は、完璧に覚えていないケースが多いことを深く反省するきっかけにもなりました。

結局、3回目のレコーディングが今回の記念アルバムに収録されています。
出来の悪い私に根気よく付き合っていただいた音楽スタッフにも感謝です。

きっと、今までにはなかった真璃子の歌の魅力を感じていただけると思います。

これからも昭和の名曲のカバーは、続けていきたいな…
次は、どんな曲を歌わせていただこうかな…


次回は「愛したらどうするの」のお話しです。
お付き合いくださいね。